田舎に戻りたくない女子大生が就活を気ままにするブログ

就活したり、読書したり、音楽聴いたり、寝たり食べたり、、、全然フォローもコメントもされないので寂しいです

百田尚樹「モンスター」

百田尚樹「モンスター」はなかなかに強烈な作品だった

私にしては珍しく、まだこの作品の評価や感想をググっていない

 

とてもどうでもいいことを述べると、

これを読んで美容外科のサイトを調べた

やはり人は見た目なのだと感じ、整形したくなったのだ

 

人、特に女性の価値は大方見た目で決まる

「人は見かけじゃない、中身だ」

なんて言葉は散々聞いたし、時には信じたこともあったが

美人に惹かれない人はいない

ブスよりも美人に目が行くのは普通のことだし、

美人の方が印象がいいのは当たり前のことなのだろう

 

私はもとより整形肯定派だが、

それがさらに強化された

 

整形はメイクと同じで、

自分の顔をより良く見せるものである

それによって自分が明るく生きられるなら

誰が損しようか

 

メイクは落とせてしまうが

整形はもう自分のものである

 

リスクがないならとうにやっている

季節外れ?の軽井沢旅行

9月の平日、暇を持て余した大学生は車で軽井沢へ!

 

今回の宿は

ノースアベニュー軽井沢 さん

選んだ理由は、あの有名な万平ホテルに近いからw

2日目の朝食は万平ホテルのカフェに行きたかったのです!

というわけで、ノースアベニューは素泊まりです

 

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道路沿いの看板

よく見ていないと通り過ぎてしまいそうなくらい、あまり存在感がありませんw

 

しかし、内装はとっても豪華!

インスタ映えもバッチリだと思います。

今回は1~2人用の安い部屋にしましたが、コテージタイプもあり、そちらはさらに綺麗で豪華らしい、、、

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今回の安い部屋

ロビーはさらに綺麗で豪華なので、ぜひホームペーゾをチェックしてみてください

暖炉もあったので、冬もきっと快適です

 

9月の平日は人が少なくとても快適です。

でも閑散期なので 、いつも混んでいるであろうカフェに客が一人もおらず不安になりました、、、

活気がある軽井沢を楽しみたいなら8月の方がいいかもしれません!

 

そのうち気が向いたら、レストランやカフェ、銀座通りについても書きます

 

コメントを気軽にしていただけると嬉しいです!!

YOMIKO

読売広告社

この単語を口にすると、

「読売新聞の系列?」

と、必ず聞かれるがそうではない。

貴社は、天下の博報堂グループの広告代理店である。

 

今日はこの会社のインターンシップに参加してきた。

このブログが広告業界を目指す大学生のために少しでもなればと思う。

(できれば感想や質問をコメントください!)

 

このインターンの参加案内メールには、

「夏インターンの選考に落ちた人向け」と書かれていた気がする。

しかし、現場の雰囲気はそうでもなく、選考に落ちた人用の枠が準備されてたということなのだろう。

 

前半は業界説明と会社説明、

後半は簡単なワークショップを行った。

 

端的に感想を述べるならば、今回のインターンシップは特に面白くなかった。

森永製菓の「森永ココア」の販売促進について考えるものであったが、

ゆるーいワークで、インターン独特の緊張感もなく、少し残念だ

 

これで赤坂の本社に赴くの3度目で、道はほぼ覚えたが、

なんと、赤坂見附から本社までの道のりに

ナチュラルローソンが!!!!!

迷うことなく入店するミーハー女子大生であった。

 

プリズム

以前のブログで

ブックオフでの大人買いのことに触れたが

その時に購入した百田尚樹の『プリズム』を読み終えた


これは多重人格と恋愛についての話である


多重人格は精神疾患の一種であるが

人は多くの側面を持っており

例えば、恋人と友人の前での振る舞いの違いだったり

酒に酔うと人が変わる、云々

よくあることであり、

人は誰しも多くの人格を持ち、使い分けている


私ももちろんその中の1人であり、

友人、家族、恋人、見知らぬ人では

全く対応が違う


このように人は多くの人格をもっているが

その中の1つを愛することはわがままであり、

それは愛とは言い難い


愛とは、その人の全てを受け入れることである


分かりやすく言うと、

DVの夫に耐える妻は、暴力の後の優しい夫を愛しているだけであり

暴力を振るう夫を愛してはいない

そしてこれは夫を愛しているとは言えない、と言うことである


愛とは、人の長所に惹かれ発展し、

その短所も受け入れ包み込むことである


結論を述べるならば

どの人格も愛さなければそれは愛とは呼ばない


別れ

高校の時同じクラスで、唯一同じ大学に進学した友人が退学した

 

彼とは1年に1、2回会い、ご飯を食べ、時にはお酒を飲みながら

本当にどうでも良い話をする仲だった

 

不登校に伴う留年、休学、そして退学

彼曰く、公立上がりの身には私立特有の雰囲気に馴染めなかったらしい

私はそれに激しく同意し、彼がその中で退学を決意し、

新たなスタートを切る勇気を持ったことに敬意を表したい

 

地元に帰って、職を見つけることから始まるらしいが、

もともと頭のいい人なので(センターで彼に負けたことは今でも悔しい)

何か活躍できると思う

 

また会えそうで、

しかし、もう二度と会えないんじゃないかとも思うが

また会う日まで、私も前を向き、進んでいきたい

 

私たちはまだ若い

何かを始めようとするのには十分すぎる時間を持っている

このことは常に忘れがちである

スプートニクの恋人

ノルウェーの森を読んで以来、村上春樹の世界に引き込まれ、

先日ブックオフの100円コーナーで、数冊彼の本を仕入れた

 

スプートニクの恋人

 

何が面白いのかは明確ではないのだが、彼の文章は私を海の底に引き込み、

そして話さない、ような、魅力がある

 

私は理解力や考察力に乏しいので、今回もいつものように

読み終えてからいくつかの考察を検索した

 

どうやらミュウはすみれの母親説、と言うものがあるらしい

なるほど、血の繋がりが運命的な出会いという勘違いを引き起こしたのか

 

彼の作品の性描写は、いつも何らかの意味を抱えている

それは単なる愛の記号ではなく、

私の脳の容量では言葉で表せられないものの記号、もしくは象徴である

 

この小説では、記号と象徴のくだりがあったが、なぜかとても印象的だった

それはその二つの違いを懸命に考えたが答えられず、

その回答に納得したからかもしれない

 

かけがえのない存在がこちら側からいなくなってしまった時、

すなわちあちら側に行ってしまった時、

私は抜け殻になるだろう

なぜなら彼は私の愛の象徴だから

構築できない友人関係

この夏2度目の外耳炎がようやく治ってきたこの頃、

友人に会いに電車に揺られた

 

前期の授業でもほとんど関わらず、本当に久しぶりで、

話すべきことは各々山ほど持っていた

 

しかし一通り話し終えると特別話すことが何もない

こういう時はたわいもない話をし、

後から何について話していたのか思い出せないほど

内容のない話をするものであろう

 

しかしその日は誰一人として口を開けなかった

情報を仕入れれば、もう用無しだというように

 

私はある種のショックを受けた

どうでもいい話を延々にできる仲だと思っていたし、

関係が修復できるとも思えなかった(喧嘩したわけではないが)

 

私は昔から特に深い友人関係を構築することが極めて下手である

彼女たちとは到底、築けそうにはない

 

一つ、ずっと胸のどこかに引っかかることがある

彼女たち友人の中にとても下品な人がいることだ

 

私には、公共の場で下品な単語を大声で言うことや、

意味のわからない行動(スマホを舐めるなど)を全く理解することができず、

それをただそばで眺め、

あたかも理解できているフリをしていた

 

どうやら始めから馬が合わなかったのに

私は努力を積み重ね、彼女たちに合わせてきたらしい

 

私は彼女たちが

私の名を馬鹿にすることを

二度と許せないだろう

 

いつかはっきりとそれを彼女たちに言いたい